長岡・小千谷・柏崎のヨガ教室
&RYT200資格スクール yogatha(ヨガッサ)
ヨガインストラクターのミーラ美樹です。
@yogathajp
ヴェーダーンタのよっしい先生からいただいた、スワミジカレンダー。
今日28日のメッセージは、特に私が好きなものです。
人間の赤ちゃんは、お母さんに
100%の安心を体験することからはじまります。
お母さんに神を体験しているのです。
赤ちゃんは、お母さんに完全にゆだねています。
疑う能力すら持っていません。
お母さんが神なのです。
しかし、
お母さんの力には限りがありますから、
その子の信頼に応えることができない出来事が
いつかは起こります。
お母さんが限られた能力の人であった
という発見は、
子供にとっては、自尊心を失う、
人生で最も恥ずかしい体験なのです。
ところが、
子供はその痛みの記憶に蓋をして
カシャーヤにする特殊な能力が
与えられているのです。
カシャーヤは、
心理学用語でいうなら「無意識」です。
これは、4歳半までの時期に起こります。
もしその能力が与えられていないなら
子供はその痛みに耐えて
生きてはゆけないでしょう。
こうして人は皆、
痛みを「無意識」にして、
絶対の安心を探す人生がスタートしているのです。
見つかるまで、あなたはお母さんを探し続けます。
引用元:パラヴィッデャケンドラム
31の言葉 スワミジカレンダー
私たちは年齢的には大人になっても、未だ母を想い、母に褒められたら嬉しいし、自分を認めてほしいものですよね。もし、機能不全家族で育ったアダルトチルドレンなら、さらにその想いが強いものとなります。
母親のなかに見ていた神、その全知全能さと絶対的な安心感。けれどいつしか、母は万能ではないと気づき、その痛みは無意識という蓋で閉ざされます。
そうして私たちは大人になりますが、依然内側に残存するのは「足りないというセンス」です。取るに足らない、何も持たないそのままの自分では満たされないし安心できないのですね。
その「足りていないセンス」をもつ私たちは、いつまでも母のような誰かや何かを探し求めてしまうのですね。
私にも3歳の息子がいます。
私も主人も自営業で、交代で面倒を見ており、保育園には行っていません。
主人と息子の関係は良好で、男同士で山や川に遊びに行くと、疲れ知らずで何キロも歩く頼もしい息子だそうです。しかし、帰宅し母に会うと途端にヘタレになって甘えます。
彼にとって父は未知なる世界を体験するためのガイドです。
そして母というのは体験に伴う考えや感情を受け止めてもらう、心のホームなんでしょうね。
そんな息子も、母にも限界があるのだと知る日が来るでしょう。自分を満たし、絶対にあんしんさせてくれはしないのだと。
今もときどき、息子とのコミュニケーションの中でヴェーダの智慧を話すことがあります。
いつか幼児期健忘で忘れてしまっても、彼の潜在記憶のなかで「僕は僕のままでいいんだ!」というあんしんをもたらしてくれますように。
イーシュワラに神の輝きを見て、彼自身のなかにも神を見れますように。
om shanti,