長岡・小千谷・柏崎のヨガ教室
&RYT200資格スクール yogatha(ヨガッサ)
ヨガインストラクターのミーラ美樹です。
@yogathajp
日々変化し続けるこの世界で、先日。
私にも等しく、予想だにしない結果が返ってきました。
一ヶ月前ほど、私は大切なものを失いました。
私の体験と、類似した体験をされた方の情報を得ようと、検査魔になってみると・・・
絶望
この一言が多く、その後立ち直れない、仕事に行けない、いつまでも泣いているとか。
私にどんな辛いことがあったのか、そういった内容を語るのがブログなのでしょう。ただ、大切なのは結果の内容云々ではなく、その受け取り方だと常々考えていますので、そちらを語りますね。
今回私に起きたことは、一般的に最悪な出来事です。
そんな結果が現れたとき、泣いたり怒ったり絶望したりして感情は激しく動きます。あまりにショックで受け入れがたい場合、感情さえ動かないこともあります。
辛過ぎて泣くことさえできなかったとき。どのようにその出来事を噛みしめ、受け入れるか。
経験上、涙を流せてはじめて癒されるのは知っています。
では、心理学的にはどうか?
受容のプロセスを段階別に分析してみます。
受容のプロセス
医療従事者の中には、グリーフケアとして学ばれたことがあるかもしれませんが、精神科医エリザベス・キューブラー=ロスによる、人の「死の受容」プロセスについての研究結果があります。
このプロセスとは5つの段階があるといわれています。
1.否認と孤立:頭では理解しようとするが、感情的にその事実を否認している段階。
2.怒り:「どうして自分がこんなことになるのか」というような怒りにとらわれる段階。
3.取り引き:神や仏にすがり、死を遅らせてほしいと願う段階。
4.抑うつ:回避ができないことを知る段階。
5.受容
果たしてどのプロセスにいるのか?これを当事者も、周囲で支える家族も含めて正しく認知することが大切だといわれています。
実際、どのように受容していったか?
私の場合、絶望的な結果を受け取った翌日には
1. 否認
2. 怒り
3. 取り引き
は飛ばして、4.に至りました。「抑うつ」の段階です。2.3日は抑うつ的で、色々なことが手に着かないという状況でした。
しかし同時に、既に起こってしまった結果は、いくら泣こうとも回避不可能であることも知っていました。
肉体を装って三次元的に存在する私たちにとって、時間を巻き戻すことはできない、という摂理を深く理解すると同時に、時間は常に進んでいること、一瞬一瞬は過去になっていること、つまり完全に今にフォーカスしはじめました。
すなわち、「時間は巻き戻せない」ことの完全なる理解は、今この瞬間の心を建設的に使おうという判断を可能にします。
きっと一般的には、時間とともに悲しみが癒える、ことを指すのでしょう。これはその通りなのですが、個人差はあれど非常に長い時間を要するケースもあります。
私の場合、苦しみの飴玉をいつまでも転がして絶望を味わうこと、つまり4.の「抑うつ」に心を費やすのは不毛だと理解しました。
そうして、5.の「受容」を迎えたのは一週間後くらいです。
なぜ「受容」に至れたか。
きっかけは特にありません。
いつものように車を運転しているとき、ふと、今回失ってしまったものを想いました。
そして同時に、失ったものではなく、今、自分にあるものを思い出したのです。
それは家族だったり、支えてくださる方だったり、仕事だったり。
こんなにも私には、ある、そう思ったら、それらが尊くて愛しくて、なんて幸せなんだろうって。じゅうぶんすぎるくらい自分は持っていたんだ、って涙が出ました。絶望のなかで溢れる歓喜の涙は、私を癒し、以前より満ち足りた自分がいました。
こうして、約一週間で、5.の「受容」を果たせたようです。
ヴェーダーンタの学びが活きている
今回の出来事を通して、ヴェーダーンタの知識に助けられ、イーシュワラとより深いリレーションシップを築けたように思います。
先日のヴェーダーンタクラスでも、
「ハッピーなことじゃなくて、なんか困難なこと来ないかな~?と思うことがある。」とか
「困難なことを乗り切れるか試される事態になってみたい。」というような発言をした私ですが・・・
わかっていたけど、
やっぱり、
私はなにがあっても大丈夫だった(^▽^)
「私は大丈夫であるという知識」をさらに深めました。
うまくいってもそうでなくても、すべて円満。大丈夫。
このような境地は、
自身をよりリラックスさせてくれます。
あなたの心にも、いつも、
だいじょうぶ!がありますように。
そして、あなたがヨーガの哲学、
ヴェーダーンタを学んでみたいと思うなら、
私は祝福の気持ちで全力で迎えます。
(クラス内容はこちら)
om shanti,