長岡・小千谷・柏崎のヨガ教室
&RYT200資格スクール yogatha(ヨガッサ)
ヨガインストラクターのミーラ美樹です。
@yogathajp
世界はISIL/ISISの一連の報道で賑わっています。
まずはじめに湯川さん、後藤さん、犠牲となったすべての方のご冥福をお祈りします。
さて、私は以前からISILに参加する若者の心理とはいったいどういうものかと考えていました。
すると三島由紀夫を思い出したのです。
今日はこの若者の心理と三島について考えてみます。
あらかじめお伝えしておきますが、個人的に彼を肯定的または否定的に捉えているかは言及しません。
三島由紀夫とは
三島由紀夫は戦後の日本文学界を代表する作家です。
「仮面の告白」、「潮騒」、「金閣寺」、「鏡子の家」、「憂国」、「豊饒の海」などの代表作があります。
晩年は政治的な傾向を強め、1970年45歳で自衛隊市ヶ谷駐屯地を訪れクーデターを促した演説後自決しました。
これは私が生まれる前のことで、かつて彼の作品を読んだ際に人物像を知って仰天したわけです。youtubeで彼のインタビューを観ると、江戸時代中期の書物「葉隠」を例に彼の死生観を知ることができました。
さて、動画のインタビューにはこうありました。
ただ人間が自分のために生きようということには、卑しいものを感じてくるのは当然だと思うのであります。
人間の生命とは不思議なもので、自分のためだけに生きて自分のためだけに死ぬほど人間は強くない。
人間は理想なり何かのためということを考えているので、自分のためだけに生きることにはすぐ飽きてしまう。
すると死ぬのも何かのためということが必ず出てくる。それが昔言われた大義であります。(中略)
それでも心の中に自分を超える価値が認められなければ、生きていることすら無意味だという心理状態がないわけではない。
どう感じましたか?
私はすごく解ります。
ただ死の理由づけ以外は。
三島は学習院高等科、東大法学部、大蔵省とまさに親の望むレールを歩いてきた優秀な人物だったといえます。
しかし一説では、三島は自己愛性パーソナリティ障害(NPD)を有していたといわれています。
NPDに代表される空想または行動における劇的な誇大性や、一方では脆く崩れやすい自尊心からのタナトス(自己破壊に傾向する死の欲動)などのアンビバレンスな精神状態があったのかもしれません。
こういう時にイデオロギーというのは矮小な自分を超える強大な価値観を生み出します。そして時に反社会的勢力に傾倒することもあるでしょう。
それが、今回私がISILを通してそこに参加する若者の心理を感じました。無論すべてがそうであるはずもなく、もっと単純な動機かもしれません。
ただ1995年の地下鉄サリン事件のオウム関係者には多くの高学歴者が存在しました。
死生観
さて、私自身の死生観はまだ漠然としています。あえて言えば、良く死ぬためによく生きたい。そして人生に納得して死ねたらいいな~と思います。
「我が人生に一片の悔いなし!」と言ってのけられたら最高ですねw
そのためにはどう生きればいいか。
いみじくも三島の一節にヒントがありました。
人間の生命とは不思議なもので
自分のためだけに生きて
自分のためだけに死ぬほど
人間は強くない
個人の行動や生き方が、他者の為あるいは世の為、人の為となるとき、私たちの脆弱な心は強くなれるのかもしれません。
om shanti,