瞑想 景色

【インスピ】人は問題を解決しようとするとき学び成長する


長岡・小千谷・柏崎のヨガ教室
&RYT200資格スクール yogatha(ヨガッサ)
ヨガインストラクターのミーラ美樹です。
@yogathajp

 

今日は友人と会い、彼女が学んでいる西田哲学の話を聞きました。ヨガの哲学と共通する点もあり、話がはずみました。

こちらが西田先生です。

 

 

西田哲学

 

 

西田幾多郎


彼の哲学体系は西田哲学と呼ばれたが、このように体系にその名が付けられるのは日本の近代以降の哲学者の中では唯一と言って過言ではない。郷里に近い国泰寺での参禅経験(居士号は寸心)と近代哲学を基礎に、仏教思想、西洋哲学をより根本的な地点から融合させようとした。

その思索は禅仏教の「無の境地」を哲学論理化した純粋経験論から、その純粋経験を自覚する事によって自己発展していく自覚論、そしてその自覚など、意識の存在する場としての場の論理論、最終的にその場が宗教的・道徳的に統合される絶対矛盾的自己同一論へと展開していった。

 

【引用元】wikipedia

 

 

 

私たちは誰もが幸福を求めます。楽しく穏やかな満たされた暮らしをしたいと思います。しかし生きていれば不慮の出来事や突然の不幸、苦しみや悲しみ、別離がやってきます。

それは「やむを得ず起きたこと」です。
そこで「起きたこと」は「起きたこと」として、どう感じ、どう捉え、どう向き合い対処していくかが知恵だと思うのです。

 

 

しかし、苦しみをありのまま受け入れられるほど人は強くありません。時には人のせい、社会のせい、自分以外の何かのせいにしたくもなります。

それでも「やむを得ず起きたこと」から、人は学び成長できるのだと感じました。

このような認知だと苦しみにも価値があり、教えてくれるものの深さに感謝すら覚えます。綺麗ごとのようですが何かを憎んだり誰かを恨むよりもよほど健全ではないでしょうか。

 

 

さて、彼女と話を進める中で、自分に足りないものに気づきました。それは私は「問題がないことが問題である」ことです。

なぜなら、 問題を解決しようとするとき人は学び成長します。苦しみを超えようとするとき人は強くなります。 しかし(今のところ)、自分にこういった出来事がほとんどないのです!

問題がないこと(またはないだろうと認識していること)による、問題意識の欠如はなぜか自身を怠惰にさせるような気がしてなりません。何か成長させてくれる問題が起きないかな?なんておかしな心境になったりもします。

om shanti,