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【インスピ】坐禅中のこころのはこび


長岡・小千谷・柏崎のヨガ教室
&RYT200資格スクール yogatha(ヨガッサ)
ヨガインストラクターのミーラ美樹です。
@yogathajp

 

今日は、石川県永光寺の住職のお言葉をご紹介します。瞑想時やシャヴァーサナで実践するのも結構です。是非取り入れてみてください。

 

 

坐禅中のこころのはこび

 

坐禅中は 心に何事も思わず
ただ手を組み 脚を組み
姿勢をまっすぐ伸ばして
呼吸を整え 思いを手放すこと

 

そこへ 仏のことも 悟りのことも
持ち込んではならない
持ち込んだら妄想なんだ

 

坐禅の時は ただ坐禅です

 

坐っていると いろんなことが頭に浮かぶが
ここで気をつけておきたいことは

 

見るというのと 見えるというのと
聞くというのというのと 聞こえるというのと
思うというのと 考えが浮かぶというのと
違うということ

 

鳥の声も聞こえる 車の音も聞こえる
皆聞こえてきます

 

聞こうとするのと 聞こえるというのは
違うんだ
坐禅していたって みんな聞こえてきます

 

聞こえる!

 

そこまでは妄想じゃないんです

 

昨日のこと おとといのこと
誰かのこと 来年のこと 頭に浮かんできます

 

浮かぶ!

 

それまでは妄想じゃなくて
生きている証拠です

 

その上にプラス何かをつけ加えない
というのが無念無想です

 

車の音が聞こえてくる
台所から美味しいにおいがしてくる
生きている証拠で

 

見える 聞こえる におってくる
考えが浮かんでくる

 

ここでやめる!

この先を育てない!

ここが坐禅中の大事な心のはこびです

 

― 石川県 永光寺 -

 

 

 

見えると見るの違い

 

見えたり、聞こえたり、考えが浮かんでくるのは、意識があり五感がはたらいている証拠ですね。しかし私たちは次に、見たり、聞いたり、考えたり「する」。

たとえば、
「見える」と「見る」の違いはなんでしょう。

 

英語だと明快です。

 

【見る】

see:
見る、見える
意図せずとも視界に入る

 

look (at):
意図的または意識的に見る
対象に視線を向ける

 

watch:
動いているものを見る
何が起きているか見る、注意して見る

 

 

 

 

人は知覚したあらゆるものに
ピントを合わせ思考する

 

「見える」ものを無意識に「見て」しまうこの作用は、カメラのオートフォーカス(AF)と似ています。

みなさんが普段スマホで写真を撮るとき、カメラは自動的にピントを合わせてくれます。四方八方にスマホを向けても、カメラは即座に被写体を捉えくっきりとした姿を映します。

 

このようなカメラのAF機能と同様に、私たちは何かを知覚すると自動的にあちこちへとピントを合わせてしまうものです。

その反応として思考がはたらき、或いは感情が発露します。

 

自分に無関係なことも、ただ「そうである」ことをそのままにしておけず「だからあぁだこうだ」と妄想が膨らんでくる。

そこでやめる!ということですね。

 

「そうである」ことはそうであるだけで、自分がただ「反応している」だけなのです。坐禅、瞑想、シャヴァーサナは「する」ことを育てません。あるがままに「ある」。「Do」ではなく「Be」です。

 

 

 

 

正しいシャバーサナ

 

シャバーサナとはヨガクラスの最後に必ず行う屍のポーズで、仰向けになり安息の時間を過ごすことです。

私がシャバーサナを行うときは、聞こえてくる音をバックグラウンドミュージックのように捉えます。音は音のままに、一方自分は自分のままに。

聞こえても、聞かないように、つまり注意を払わないよう内側へと意識をまとめます。この時点では自分に集中を「する」=focus(on)なので、まだ何かをしている状態です。

 

 

そのあと静かに内と外を溶け合わせるように融合させます。集中することさえやめます。

すると音やにおい、その空間はもう自分とは分離しません。まるでそれらと一体になったかのような感覚とともに自分が消えていきます。

内側が穏やかに満たされ、空っぽになった自分を味わえます。身体と思考から解放されると、この上なくくつろぐことができます。

 

 

ヨガが他のスポーツと異なる点は身体だけでなく心まで鍛え研磨し、調和し、安らかに導けることです。レッスン後は生まれ変わったような心地よさを感じる方もいますよ。

om shanti,