長岡市のヨガ教室 yogatha
ヨガインストラクターのミーラ美樹です。
私事ですが・・・
昨日9月27日午後、
同居中の祖母が亡くなりました。
100歳でした。
・・・遡る事、昨日の午前中。
おばあちゃんとふたりで自宅にいました。
すると、おばあちゃんが
呼吸困難のような状態に陥り、
顔がみるみる真っ赤に変わっていきました。
驚いた私は
大声で呼びかけ
手を握り
必死で呼び止めました。
すると、
今度は口元が硬直しはじめて・・・
よくわからないけど、
口が閉じたら窒息してしまう!
と思って咄嗟に自分の手を
突っ込みました。
苦しそうなおばあちゃんと
自分の心臓まで止まりそうなほど
動揺する私。
すぐに外出中の母に電話し帰宅してもらい
訪問看護師さんも駆けつけてくれました。
おばあちゃんは
一時的に口元の硬直が収まったと思ったら
また発作のように苦しみだして
また落ち着いての繰り返しで
一進一退でした。
2時間後・・・
母も私も
もう後戻りはできないと
覚悟を色濃くしていくばかりでした。
それでも
苦しそうなおばあちゃんに
声を掛けたり
手を握ったり
揺さぶったりしてたのですが
だんだんと
その呼吸が弱くなっていきました。
その時、看護師さんがふと
「おばあちゃんの自然なタイミングで
見送ってあげてもいいと思うよ。」
そのようなことを言われたと思います。
おばあちゃんは
少しずつ少しずつ
静かになり
その呼吸が
すぅっと止まっていきました。
容態が悪くなって次の日
おばあちゃんが逝ってしまった。
生きようとする力と正反対の力との
狭間にいたおばあちゃんを目の前に、
「生きるということは
死ぬより苦しいんだね。」
母がそう言いました。
手元にあった、”釈尊 生涯と教え”
という本にも同様の記述がありました。
母は、長い間自宅介護をしており、
おばあちゃんの最期を看取ることができて
ほんとうに報われたと思います。
私はというと
インド行きのフライトが29日朝で
お通夜が29日夜に決まりました。
母は
「アンタはいつもよく見ていてくれたし
最期も看取ったし、仕事なんだから
行っていいよ。」
と言っています。
明日よく考えたいと思います。
9月3日の”ありがとう。また、いつか。”
の記事にも書きましたが、
私は肉体は滅びても魂は永遠だと
信じています。
今生はこれで
さよならすることになるけれど
寂しいし悲しいけれど
おばあちゃんの魂は
この先も続いていく。
だから私も私を保つことができましたし
当日夜のレッスンも通常通り行えました。
今は少しの涙と感謝の気持ちでいっぱいです。
おばあちゃん、愛してるよ。
今までおつかれさまでした。
ありがとう。
またいつか会おうね。
美樹より愛を込めて,