長岡・小千谷・柏崎のヨガ教室
&RYT200資格スクール yogatha(ヨガッサ)
ヨガインストラクターのミーラ美樹です。
@yogathajp
RYT200ヨガ指導者養成講座・第2期のレポートです。
新潟県内各所から、ヨガの指導者を目指す方、資格取得を目的とされる方、特に指導者になるつもりはないけれど学びを深めたい方など、様々な目標を抱かれた皆様にお集まりいただきました。
RYT200 ヨガ指導者養成講座
本日の講義は以下の通り。
座学
ヨガの歴史
ヨガってなに?
インストラクション
アーサナ実践・指導法
ウォームアップ&ストレッチ 座位
ヨガの歴史について、世界と日本のいずれも見ていきました。
みなさん、ヨガの起源ってご存じですか?
様々な説がありますが、古くは紀元前2500年、インダス文明においてヨガの起源となる何らかな行法が行われていました。
さらに、紀元前1200年頃、インド・アーリア人による最古の文献「リグ=ヴェーダ」が編纂。ここにヨーガという言葉がはじめて確認されました。
そして、紀元前1000~500年頃、ヴェーダの末尾の著作群であるウパニシャッドにヨーガという言葉が確認された。そんなところです。
RYT200で用いる聖典として、バガヴァッドギーターは紀元前200~100年、ヨーガスートラは紀元後500年頃と、私たちは古い歴史ある行法を今の時代も取り組んでいるのですね。
現代はヨガといえばアーサナですが、古来は坐法、瞑想のことを指していました。
一方日本では、紀元後800年の平安時代。
唐より帰国した空海が瑜伽(ゆが)として伝えたといわれています。
さらに、現代ヨガにおいては、主に近代ヨガの父ともいわれるクリシュナマチャリヤがその普及に貢献しましたが、一方日本は・・・
1967年、沖正弘先生が確立した沖ヨガが、ハタヨガとして広く普及に貢献されました。
ヨガって歴史があるんですね!
そしてヨガってなに?という本題。
そもそも、ヨガとはサンスクリット語の【Yuj(ユジュ、ユジ)】が語源で、「くびきをつける」という意味です。くだいていえば、心と体をつないで、統合する。
そしてその心の性質は暴れ馬に例えられます。
心とはいつも、物事や対象物に対して好き・嫌い(ラーガ・ドヴェーシャ)に二分します。
聖典ではラーガとドヴェーシャを以下のように述べています。
ラーガ
快楽、執着、愛執
ドヴェーシャ
嫌悪、反感
ひとつ、大切なこととして、これらは私たちの嗜好によって左右されるもので、本質的な優劣とは無関係なのです。
たとえば、私の好きなモノが、あなたにとっては好ましくない。というような。
ラーガという心の動きは、必ず対象物に対して生まれます。
つまり、対象を得られたときにのみ生じる、束の間の楽しみ、快楽なのです。
「私はこれが好き、嫌い」という見極め。
人生において何が自分を心地よくしてくれるのか、あるいはその反対か、明確であるほど人生は快適になるかもしれません。
しかし、「私はこれが好き」という気持ちも増悪すると、「私にはこれがないとハッピーじゃない。」という制約を掛けてしまうのです。
それがラーガの本質です。
どれだけ欲しいものを手に入れても
今の自分ではない何かになっても
私は足りていない
私は安全ではない
〇〇がないとハッピーじゃない
という結論が解決しない限り、人生においてのほんとうの安らぎや幸せはやってこない。
ヨーガの聖典は、
心に左右されない幸せの道を
指南しているのです。
幸せを求めて何かを得ようという、目の前の餌に飛びつく暴れ馬のような心。
その心とはいったい何なのか。
ひいては、私とは何かの見極め。
今回も新しい概念が私たちに知性にはたらきかけてくれました。
om shanti,