長岡・小千谷・柏崎のヨガ教室
&RYT200資格スクール yogatha(ヨガッサ)
ヨガインストラクターのミーラ美樹です。
@yogathajp
最近気になったニュースがあります。
「日本の子ども、健康なのに
精神的な幸福度はワースト2位。
高い自殺率の問題、改めて浮き彫りに。」
先進・新興国に住む子どもの幸福度を調査したユニセフ(国連児童基金)の最新報告書が、話題になっている。
日本の子どもは、肥満の割合など「身体的な健康」では1位だったが、自殺率などから算出した「精神的な幸福」ではワースト2位だった。
引用:ハフポスト日本版
テレビのニュースでも取り上げられていましたが、要はこうです。
身体的健康は1位なのに、精神的幸福度は最低レベル。
15〜34歳の若い世代の死因の1位が、事故や病気ではなく自殺となっており、先進国では日本のみなのですね。
最近の子どもは学校に塾に習い事に非常に忙しいです。
学歴・競争社会でいい学校に入って、いい会社に入って、安定した生活を手に入れることが幸せの価値基準になっています。そんな子どもはもちろん親さえも
他の子と比べてウチの子はどうなのか?
という尺度で子どもを理解し、ジャッジし、足りないものを習得させようと奔走します。
これは私たち大人のテンプレート的傾向ではありますが、その子どもが大人になったとき、
ありの~ままの~ 姿見せ~る~のよ~♪
って言われたってそうはいきません。
子どもから言わせれば、これまでずっと大人(親・先生)に、今のあなたじゃ足りないからもっと頑張れ!って言われ続けた訳ですから。このような教育を受けた子どもが、そのままの自分を認められるなんて虫が良すぎですね。
大抵は、人より優れていて人より多く持っていないと不安になります。ちっぽけな自分を取り繕って、価値ある何者かにならなきゃ、親も社会も認めてくれません。
このままじゃ自分でさえも自分を認められないんだもの。
このように相対的である他者を通して自分が何者であるかを理解しようとすると、持っているか持っていないか、勝っているか劣っているかですべてが決まります。
幼児なら身体的・知能的発達値、
学生ならテストの点数、
大人だって年収や資産・・・
誰もがみな、お隣さんや世の平均値と比べて自分を理解します。
このような判断では、どこまで行っても自分より持っている他者は必ず存在し、キリがありません。
そしてほんのひととき、何かを得て幸せだと感じても、失ったり減ったりするのが怖くてまた不安になるのです。
このような苦しみは、本来は絶対的である自分の本質への知識がないために起こります。しかし、「自分はほんとうは何者なのか?」「幸せとはなんなのか?」をここ日本の学校では教えてくれません。親だって、それを教えることは容易ではありません。
ヴェーダーンタでは、
相対的なものとの比較ではなく、
全体的なイーシュワラを通して
絶対的な自分の本質を理解します。
イーシュワラという全体、生きた生命体宇宙を自分の鏡としてリレーションシップを繋げること。
そしてダルマという秩序や自然の摂理に則って調和的な考えと行いをコミットすることが第一歩ですね。
もうこれは親子そろってヨーガで学ぶ哲学、ヴェーダーンタを学べたらいいのにって思います。
親子ヨガとかベビー&キッズのアーサナヨガもいいけど、キッズ・ヴェーダーンタとかないの!?
下記に私が勉強している本、チェータナ先生著「いーしゅわらーや なまは」の冒頭に書かれたものを引用します。
そして初見の方が分かりにくい前半部はミーラ意訳をつけてみました。
ヴェーダの国の人々にとっては
この世界こそが生きていて、
それはイーシュワラ、
またはバガヴァーンとよばれます。
(ミ訳:ヴェーダを学ぶ人たちにとっての世界の見え方って、この世界そのものが生きていて、生きた宇宙って見るんだ。その呼び名はイーシュワラとかバガヴァーンっていうんだよ。)
星が周期し、季節が変わり、雨が降り、
一粒の種から花が咲き、
その生きた宇宙の秩序は、ダルマとよばれます。
(ミ訳:星や季節、天気や自然の移り変わり、これらはまさに生きた宇宙なんだ。この宇宙のありようは無秩序であるはずもなく、ありとあらゆるところに自然の摂理や目には見えない秩序がはたらいているよ。それをダルマっていうんだ。)
ヴェーダの国では、学校の先生の仕事といえば、
ダルマを教えることを意味します。
子どもたちは小さなころから、
目に見える世界だけではなく、
その後ろにある目には見えないかすかな秩序、
ダルマを習います。
(ミ訳:ヴェーダの学校の先生は、子どもたちにこのダルマについて教えているんだ。さっきも言ったけど、ダルマっていうのは僕らが見える世界も見えない世界にもはたらいている、かすかな秩序だよ。)
勉強や仕事、結婚生活だって、ダルマをたどって
バガヴァーンを理解しようとする生き方が
ヨーガとなるのです。
(勉強、仕事、結婚生活、どんなときもこの世界を支える秩序や調和を重んじて行い、自分とこの世界の繋がりや本質を理解しようとするなら、それは立派なヨーガという行いになるよ。)
勉強も働くこともダルマの意味とつながらないままに
「どう生きたいのか」と問い詰められることは、
子どもにとってそれはそれは恐ろしいことです。
なぜ調和的に考え、行うのか、自分の本質とはなんなんか、これがわからないままに「どう生きたいのか」と問い詰められたって、灯りもなく暗闇を彷徨っているようなものさ。
だから安全のための進路になるし、
休日を待ち望んで働く人生になるし、
月曜日の朝にはため息がでるし、
でも辞めてどうなるのかと思うし。
世の中のことがわかればわかるほど、
大人になるほど、
「ちっぽけで取るに足らない私」、
かけひきばかりの私に気づいていきます。
そんな子どもが大人になって
何かむなしく思うとき、
もし、そんな自分からの
自由を求める旅が始まるなら、
ヴェーダはそれを祝福し、
ヨーガというライフスタイルを教え始めるのです。
はい、最高ですか?( ;∀;)
ウパニシャッドって、紀元前500年前後に成立した書物だよ!2000年後の君へ・・・じゃないけどさ、21世紀の私たちがこうして学べる奇跡に、このヴェーダーンタを受け継いできた先人に頭が下がる思い、感無量なのです。
ヴェーダーンタを学ぶ前は聞いたこともない用語の理解が難しかったけれど、学びはじめたら
ごもっとも!!(*-ω-)!!
って感じでストーンと響きます。
私がヴェーダを学んでいるのは他でもない自分のため、そして我が子のため、ヨガッサで出会った生徒のため、もしかしたらこれを読んでピーンと来たあなたのためかもしれません。
この知識をこの地で伝えるために、今後ウパニシャッドの座学クラスをしようと考えています。
om shanti,