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バラナシ編 #3 【観光】夜のボート遊覧!ダサシュワメート・ガートから火葬場へ、そしてトラブル発生・・・


続続々11月8日夜、プジャを見た後にボートに乗ろうと岸辺に向かう。バラナシでボート遊覧は定番中の定番でチャーターもできるのだが高額。よって、ローカルの人たちと一緒に”乗合ボート”に乗るのがお手軽でいい。
ボートの運ちゃんに船賃を尋ねると「Rs200。」と明らかにふっかけ。現地の人たちがRs200払っているとは到底思えない。「高すぎ!Rs100!」というと「オーケー。」って、アッサリだなオイ。・・・おそらくRs100はツーリスト価格としては安い方で現地価格はRs30くらいかな?
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■ダサシュワメート・ガート
南北6kmに渡るガンガーの岸辺で一番大きなガート(沐浴場)。早朝には多くのインド人で溢れかえる。
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■ハリシュチャンドラ・ガート
数十あるガートの中で南側に位置する小さな火葬場。観光客が少なくゆっくりと火葬風景を眺めることができる。遠くに見えるのは今まさに遺体を焼いている炎である。そして煙。
ちなみに撮影禁止だが、北側に位置する”マニカルニカー・ガート”が大規模な火葬場。ここにはインド全域から多い日は100体近くの遺体が運ばれるそうだ。死者はここでガンガーに浸されたのちにガートで荼毘に付され、遺灰は聖なるガンガーへと流される。これは死者に対する最大の敬意とされる。
子供、妊婦、事故死、疫病死の場合はその人生を全うできなかったとして、火葬ではなくガンガーに水葬される(そのまま流される)。
ヒンドゥーの教えはキリスト教などとは異なる面が多い。輪廻転生を基盤に、生まれてくること(人の一生)は修行であり苦しみだとされている。今でも残るカーストも今世でのダルマ(全うすべき仕事、役目、使命)として生まれながらに受け入れざるを得ない。
また、現在のダルマは過去の自分のカルマ(業、行い)の投影であるという考えも輪廻転生の思想に帰来する。よってヒンドゥーでは究極的にはこの大いなる無限の輪廻のループからの解脱を目的としている。
こういった世界観、真理探究に関してインドの偉大なヨガの聖者(ヨギ)である故パラマハンサ・ヨガナンダ師の自叙伝が非常に興味深い。自らの意志で肉体を捨てスピリットとしての「私」に戻った”マハ・サマディ”までの彼の霊的探究とその一生が描かれている。

さて、旅行記に戻ろう。
夜のガンガーを廻り岸辺に戻ってきた。グラグラと揺れる船から降りる私に、向こうから手を差し出す船頭のオッサン。
「あら、やさしいのね♪」と思ったのも束の間
「もうちょっと金くれ~!」の手だった!
またしても後からクレクレ請求かよ!
通用すると思ってるのか!?

と、既に支払い済の私は自力で降りた。
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ダサシュワメート・ガートに戻ると何やら特設舞台が設けられ、インド舞踊を踊る男性とテレビクルー、そして多くの観客が集まっていた。この様子は生中継されているようだった。そして女性リポーターは私にマイクを向けインタビューを受けた。「どこからいらしたのですか?楽しんでますか?」という問いかけに「日本から来ました。素敵ですね~。」なんて具合に。
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今日はサールナートに行き、プジャを見て、ボートにも乗った。充実感と共に上機嫌でゲストハウスに戻る私。そして一日の疲れを癒そうとシャワーを捻ると・・・水・・・水・・・水。
ちっともお湯が出ない
常夏の南インドじゃあるまいし
11月の北インドでお湯が出ないのは
お客様、どうぞ風邪を引いてください♪
と言っているようなもんだろー!

昨夜のシャワーも始めこそぬるま湯が出たが、最後は限りなく水になり、あの態度が悪いマネージャーAに苦情を申し立てたばかりなのに!それでも信用ならないから、先ほどエントランスで会った際に「これからシャワー使うからお湯のスイッチをつけておいて。」と言ったのに!(このゲストハウスはタンクに水を溜め、その水を温めてお湯にする仕組み)
私は髪を洗うのをやめて震える身体で文句を言いに行った。
私 「水しか出ないんだけど
   スイッチはつけてくれた?」
A  「イエス!15分待ったか?
   タンクの水はすぐには温かくならない。」
私 「あれから30分経ってんだよ!」
A  「それはおかしいな。スタッフを呼ぼう。」
その後、スタッフが部屋に来たがチェックしている仕草で単に蛇口の開け閉めを繰り返すだけ。「ほら!ちょっと温かいのが出たぞ!」と言うそれはプールの水温以下の限りなく水に近い温度だった。
どこが温かいんじゃ?いい加減にしろ
とのことで、再びフロントに出向きマネージャーAと第二ラウンド。
私 「そもそも、チェックインの時にホットシャワーは24H出ると言ったよね?」
A  「そんなに遅い時間(23時)にシャワー浴びるなんて思わなかったよ。夜はスイッチを切ってるんだ。」
私 「ぐぬぬぬぬ・・・
   (↑言葉にならない怒り)
客が何時にシャワーするかは
客の自由だろ!スイッチ切るなぁぁ!」

この日はもうあきらめた。
何度もインドに来て思うことだが、どうしてインド人は「ごめんなさい。」や「すいません。」の一言が出てこないのだろう。サービス業の人間でさえ客に出るのは言い訳ばかり。「ごめんなさい。」だけではなく「ありがとう。」だって滅多に聞かない。
生存競争の激しいインドでは、相手を優位にするこれらの二語は廃れてしまったのだろう。つまり死語。
聖地とか、聖なる河とか、お祈りとか、神様とか。ヒンドゥー(80%)でもイスラム(15%)でも信じるものはなんでもいいけどさ!
神様の前に、おかげ様だろ!
それがインドだと受け入れられない人はインドに来ない方がいいってことね。はい、わかりました。受け入れます。
こうやってなし崩し的に甘受してしまう自分がいる。ここは世の理不尽さを受け入れる修行場だよ。
namaste,