続々2月16日、東の遺跡群のメイン・ヴィッタラ寺院を目指す。
途中道に迷ったりしたが地元の人たちに助けてもらいつつ、到着。
レンタバイクを降り、2kmはありそうな一本道をただひたすらに歩く。
Gajjala Mandapa
Kuduregombe Mandapa
Pushkarani 右手に柱のような遺跡群が立ち並ぶ。
やっとの想いで、ヴィッタラ寺院に到着。
クリシュナデーヴァラーヤ王の時代(1509~1529年)で、
ヴィルーパークシャ寺院の塔門やヴィッタラ寺院、クリシュナ寺院が建設された。
Garuda Mandapa
チャリオットとも呼ばれるヴィッタラ寺院の山車型のガルダ堂 (16世紀前半)
それを背後にキメるパリブリッタ・トリコナ・アーサナ。
後々調べた結果判明したのだが、ガルダはヴィシュヌ神の乗り物である。
私はガルダ・アーサナ(鷲のポーズ)をすべきだったなぁ。
二頭の象が山車を引いている(左) 立派な塔門(ゴープラム)(右)
ヴィシュヌ神を奉っており、ヴィジャヤナガラ様式の最高傑作といわれている。
Maha Mandapa ミュージックピラーと呼ばれる細い円柱は、
たたくとそれぞれが異なった音色を響かせる。
ここから徒歩で移動するなら
西にあるヴィシュヌ寺院、アチュタラーヤ寺院、
更にはハンピバザールへと抜けられる。が、私の場合
ヴィッタラ寺院手前の駐車場に戻らないといけないため
これらは明日に残しておくことにした。
ハンピバザールへの帰り道、南の遺跡群にあるクリシュナ寺院に立ち寄る。
ここでは首を左右に振れば視界のどこかに遺跡が映る。
もはやどれを見ても同じに見えてくる(笑
Kurishna Temple(16世紀前半)
当時クリシュナデーヴァラーヤ王が、ヴィシュヌの化身である
クリシュナの幼児像(ベビークリシュナかしら)を祀るため寺院を建立した。
オープン・マンダパ(拝堂)の列柱。
ゴープラム(塔門)の彫刻。
バザールに戻ってきてようやく一息つく。
トゥンガバドラー川のほとりを歩いていると
西洋人たちが奥の小道へ歩いて行くのを目にする。
この先に何があるんだろう?
暇なので尾行してみるw
すると「Mango Tree」というカフェに辿り着いた。
眼下にトゥンガバドラー川を望むカフェ。
バックパッカーのたまり場で、いかにも彼らが好きそうな雰囲気。
彼らはここで何をするでもなく、川の向こうに沈む夕日を眺めたり
のんびり読書をしたり、友人や隣席のパッカーたちと交流をする。
私も隣に座っていたスイス人とドイツ人と話をしてみた。
(西洋人は30~50代のバックパッカーが多くみられる。
目尻に皺を携えながらも少年少女のような無邪気な笑顔で皆一様に楽しげだ。)
どこを旅していても私が日本人と知ると必ず、
「ツナミは大丈夫だったのか?ニュークリア パワーはどうなっているのか?」
と聞かれる。海外にも3.11のニュースはしっかり届いていることを知る。
そして、ユーロ圏の彼らは第二言語である英語を随分流暢に扱うものだと知る。
聞くところによると、TVで英語のニュースやドラマが普通に放映されていて
母国語と英語の字幕が出るんだそう。このため身近なところで気軽に
英語が学べるということだ。日本の民放でもこういったことがなされるといいなぁ。
そして「もう何度も食べてるよ!」と彼らが勧めるイスラエルフードをいただいた。
ペンネのようなそれは、濃い味付けが予想される見た目に相反して
味がない・・・。ハズレだった。
もうすぐ日没だ。
日が暮れると蚊の活動時間となる。
私は足早に宿に戻った。
namaste,